都の西北から田臥へ
(ADからQが出まして)
今日はひさびさに昼間の授業の時に晴れた気がする。
最近、ずっと雨だったような…。
…と、c.a.g.の友人で、リンクにもあるブログ「くもり のち はれ」の著者のchai君のブログの言い回しっぽくしつつ…。
写真のような大隈の後姿に大隈講堂の眺めが実によかった。
授業をわざと遅刻してよかった。今日はペルシア語の発表が指されるのが嫌だったからちょっと遅刻。卒業かかってるから休めないのですが…。
深夜ラジオはじまりました。
本日、我らが昭和55年会の雄、田臥勇太が日本人初の開幕NBA決定。
これはたまらなくうれしい。
なぜかというと、このc.a.g.と田臥とはバスケットつながり。
彼との出会いは中学の時から呼んでいる雑誌月刊バスケットボール。
中学の時、地区大会でもがいていた俺の中に飛び込んできたのは、当時、神奈川県代表大道中学を全国中学校バスケ大会ベスト4に導いた彼の姿だった。彼ひとりでこの中学は全国に行ったみたいなことが書いてあった。
それから彼は、みんなも覚えてるかもしれないが、進研ゼミのCMであのパトリックユーイングと競演することで、全国区になる。初めはあの下手なレイアップシュートを決めるのは誰だよ?って思ってたんだけど、あれが田臥か!ってびっくり。実は田臥は下手なんじゃねーか?否。否。否。
てっきり彼は神奈川の強豪高に入学かと思っていたら、彼は秋田県の名門、能代工業高校に国内バスケ留学。かなりの異例なことに日本高校バスケ界が揺れることになる。
そして能代工業高校の黄金期が始まる。それまでも能代工高の黄金期はあったのだが、前代未聞。高校三冠(インターハイ、国体、ウィンターカップ[冬の全国大会])を三年連続でやってしまったのだ。もちろん一年からスタメンレギュラー。負けたのは、1年のときの東北大会準決勝だけ。それ以来、能代工高は負けなしだったのだ。確か公式戦70〜連勝だった気がする。
そんな田臥になぜかライバル心を燃やしながら毎日バスケに励む、c.a.g.がいた。田臥のビデオを撮ったら、あいつのステップとか練習してたよ。
そんな彼だが、大学にはいかず留学。そして一度は日本に帰ってくる。
夢は破れたかと思った。とくに昨年のナゲッツの解雇のときは。
しかし、今回ついにサンズの最終の12人の中に選ばれた。
俺は彼にこう言いたい。
「すべてはお前が夢抱いたものを実現し。バスケ界の野茂、カズだ。」
おそるべき同級生。
そんな有言実行の同級生に拍手喝采。